「川下りは楽し・余談」   by  別宮 博一

76<「水辺で楽しむ!」>

 長らく更新を怠ってしまった。加齢に伴い、何かに煩わされたり何かに

集中したりすると、他は疎かになってしまう様になった、と言い訳して

おく。   

 反応時間も格段に落ちて来たのも確かである。自動車の制限スピード

の標識に高齢者は忠実に従うべきであるとつくづく思う様になった。かつ

て米国留学中、運転免許取得に際し学習した時に、車間距離は時速60

マイルで走行中なら車6台分以上、70マイルなら車7台分以上の車間

距離を取れと書いてあるのを読んだ覚えがある。当時のアメ車はバカで

かく、1マイルは1.6kmなので、日本に帰ってからも小ぶりな日本車なの

で、アバウトながら時速60kmなら車6台分で準用していた。

 日本では、随分昔になるが、車の評論家の誰だったかが、「走行中のス

ピードで2秒ぶんの車間距離を取っていれば、前方での急な事態に概ね

対応出来る」と、運転しながら実演しているのをTV番組で見た事がある。

何んとなく私には短い様に思え、3秒位でやって来た様に思う。

 どんな距離かと言うと、先行車が目印を通過する時に「ゼロ」と数え始

め、「イチ」「ニ」「サン」・・・と数えて自分の車が同じ目印を通過する時ま

でをカウントして車間距離が少ないかどうかを確かめると言うアバウトな

もので、簡単である。秒速1mが時速3.6kmなので、2秒と言う事は、

時速36kmでは20m、72kmでは40m、108kmでは60mとなる。

反応時間の延長を自覚し、これ以上を心掛けようと思っている。既に3秒

なので4秒にしようかと思うが、間に割り込まれてかえって短くなったりし

て・・・・・。カヌー仲間の若者が会社で就業中に急死したのはショックであ

った。通夜の帰りに、在りし日の彼の姿を思い浮かべながら運転していた

ら、追突してしまった。適正車間距離は、運転に専念しているというのが

前提なのである。

 言い訳が長くなってしまった。さて、本年4月19日の第4回岡山城・後

楽園カヌー駅伝大会は、昨年同様、開会式は雨に見舞われたが、これま

た昨年同様、レース前には雨がやみ、爽やかにレースが展開し、怪我人も

一切無く、盛会裏に終えること出来て何よりであった。参加チーム総数7

2で、昨年の25%増であったのは参加者の皆様の熱意及び関係各位の

努力の賜物であり、率直に嬉しい。毎回少しずつ変化を加えているが、今

回は持ち込み艇によるレーシングカヌーの参加を許容した点が新しい。

来年は節目の第5回大会になるので、更に良い大会になる様にと気を引

き締めているところである。

 さて、私と水辺の関わり合いに就いて少しばかり、述べて見たい。

 私は愛媛県生まれであるが、父親はニューギニアで戦死し、空襲で家

屋敷を失い、父の両親も戦後のどさくさの中で早々に亡くなってしまい、

嫁ぎ先での根拠を無くした母に連れられ、備中・高梁(たかはし)の母の

実家で幼児期から育った。子供の頃は、近所の餓鬼大将に連れられて近

隣の山や川や道路で遊んだ。特に夏休みには朝「夏休みの友」をサッと終

わらせた後、昼食で家に帰る以外は終日「高梁川」で遊んだ。何しろ私が

入学したのは短期間存在した「国民学校」で、当時は学校にプールなど

有ろう筈もなく、水ぬるむ頃になると学校の先生が生徒を引率して高梁

川で水泳の練習をしたものだ。今は先生が「川は危ない、川に行くな」と

指導しているらしい。同じ泳ぐと言っても、プールで泳ぐのと変化に富ん

だ川で泳ぐのとでは楽しさが格段に違い、生きた知恵の習得と言う観点

からも断然川が勝っている。多少のリスクも知恵の習得には必要だ。現在

は水泳と言えばタイムレコードやエクササイズとして見る向きが主体のよ

うに感じられるが、水辺での諸々の知恵の習得こそが大切であると思う。

 余談になるが、「進駐軍」の施策で行われた、昼間の時間をより有効に

活用しようと云う、夏季に日本全土で一斉に時計の針を1時間進める

「サマータイム」(当時は「サンマータイム」と言っていた)を一時期体験し

ている。これは今の日本でも実行したら良いと私は思っている。

 岡山大学に入ってから、仲間と「学内レガッタ」というボート部主催の大

会を知り、「ナックル4」と言う4人漕ぎ5人組のレースに参加した。その会

場が現在の「岡山城・後楽園カヌー駅伝大会」の会場と略同じである。現在、本

部・スタート・ゴールの場である京橋の河川敷は、当時は現役の「岡山港

の船着き場」であり、瀬戸内諸島と岡山を結ぶ船が発着しており、スター

トは鶴見橋辺りであったが、川下側のゴールは相生橋の少し川上辺り・後

楽園島の最下端辺りであった。

 大学を卒業し、インターンを経て、駆け出し医者になったが、「学内レ

ガッタ」の「医局対抗レース」に昭和43年の参加以後数年続けて参加し

ていたが、練習中の学生クルーが、岡山県庁横にある堰に激突して沈没

し、死者が出たため大会は中止となった。数年後レガッタは会場を川下の

三蟠に移して再開され、これにもアーネスト・秋岡氏(ボート部OB、当ク

ラブ会員)と共に参加していた。このあたりの経過については、記憶が怪

しくなっており、順序が多少前後しているかも知れない。こんな積りでは

なかったのであるが、マイッタ、マイッタ。

 昭和51年勤務先が広島県・福山市に変わった。当初数年気が付かな

かったが、「芦田川レガッタ」なるナックル4で行う市民レガッタが毎年開

催されているのを知り、職員に呼びかけ第5回大会辺りから参加している。

以後、福山を去るまでの20年ほど、毎年職員と共に参加し続けた。

 職場では私はボート部OBと思われていた様であるが、全くの素人で、

コックス(舵取り)しかやった事がなく、ボートは漕いだ事が全くない。参加

総数90クルー規模の大会であるが、最大13クルー、最少6クルーの大

勢で参加した。婦長揃いのクルーもあった。あらゆる職域が参加した。ど

のレースにも誰かが出場している感じである。女子の部では優勝・準優

勝・3位辺りの常連であった。当初は参加するだけであったが、救護班を

引き受けていた病院が何かの事情で撤退したため、救護班を引き受ける

事になり、以後救護班用のテントの他に我々用にテント2張りが提供され

る事になった。


       (写真@AB )

 こんな中のある時、国道180号線を走っていて、美袋(みなぎ)辺りだ

ったと思うが、当時は未だ珍しい高梁川をカヌーで下っている数人の集団

を見掛け、急いで川に降りて彼らに声を掛けて話した事があった。今思え

ば、この中の一人は当カヌークラブ会員で達人の津下氏であったと思う。

そうに違いない。

 私は48歳の平成2年春からカヌーを始めている。川でも海でも色々

な「遊びのカヌー・イヴェント」に参加してきたが、私のカヌーも四半世紀

経った。技の進歩は無いが、皆さんに付いて川を何とか下れる程度で良

しとしているものの、今後何時まで出来るやら、我ながら不安を感じる様

な歳になった。

 岡山城・後楽園カヌー駅伝大会に関わるようになって、私に出来るのは

大勢で参加する事位しかないと思った訳ではないが、職場の協力者の支

援を得て、今回は大量8チームで参加出来たのには我ながら驚いている。


       (写真C)

 今、NHKBS3で田中陽希氏の「日本百名山一筆書き踏破への道」の最

終部分の再放送「阿寒岳」「利尻水道」「利尻岳」を見ながら、本稿を書い

ていた所だった。私が学生時代に3週間の北海道一人旅をした時、雌阿

寒岳は噴火で閉山されていたが、「雄阿寒岳」に1人で登った。小さな美

しい湖「ペンケトー」・「パンケトー」の眺めが目に浮かぶ。また、この旅の

途中偶然にも網走で「日本で見られる20世紀最後の皆既日食」に出会

ったことも思い出した。更に「利尻水道」での風の中をシ―カヤックで苦闘

する田中陽希氏の姿を見ながら、2000年に「朝鮮海峡横断」に挑戦し

た時の「天気晴朗なれど波高し」の現実を思い出し、感動を新たにした次

第である。


       (写真D)

                (2015年6月12日)

 






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