「川下りは楽し・余談」   by  別宮 博一

53 <「最上川下り」>

 

 6月中旬、職業上の外せない所用で山形市に滞在する機会があっ

た。耳の持病のせいで、少々遠くても他に手段が無い場合以外は極

力空路を避ける事にしている。折角山形まで行くのであるから、何

か山形ならではの物は無いかと思案の結果、「最上川下り」に思い至

った。折しも梅雨の最中で、芭蕉の「奥の細道」で馴染みの「五月

雨を集めて早し最上川」を体験しようと言うわけである。旧歴の5

月なので新暦ではピッタリの頃合いと言う訳である。勿論、カヤッ

クで下ろうと言う訳ではない。「観光川下り舟」に乗る算段である。

 地図で見ると、山形市から最上川は随分遠い。東京で山形新幹線

に乗り換え、本来の目的地「山形」を通り過ぎて終点の「新庄」で

下車。新庄駅で気付いたのであるが、秋田新幹線の隣のプラットフ

ォームには奥羽本線の列車が止まっているのが不思議に思えた。

 以下は此の事実からの私の推論である。山形新幹線は、奥羽本線

の狭軌複線の一方を広軌のレールに敷き替え、車体の幅はそのまま

で、車輪のみ広軌規格を取り付けた新幹線車両を走らせ、トンネル

をはじめ既存鉄道施設をそのまま流用出来る様に工夫したものだと

理解した。即ち、広軌と狭軌のレールが夫婦の様に並走し、新幹線

も在来線も単線で運用していると言う事になる。確認していないの

で、間違っていたら御容赦願いたい。



 1時間に1本の陸羽西線(奥の細道 最上川ライン)に乗換え、日

本海方向に走り、最上川を渡ってすぐの無人駅「古口」で下車。降

りたのは私だけ。川下りをやっているのかどうかと不安になって来

る。舟下り乗船場(戸澤藩船番所)まで歩いても遠くはないが、バ

スがある由なので、キョロキョロしてみると、オンボロバスがあっ

たが乗客も運転手も居ない。駅舎に人影があるので入って見ると運

転手だった。運転手によれば、JRで舟下りに来る人は殆ど無く、

バスの団体か乗用車で来るのが普通だそうだ。岡山駅から柳川か城

下程の距離で乗船場に到着。少人数のみ帰り舟に乗って往復出来る

と言うので、折角遠くまで来たのだからと、往復券を買った。



 ここ当分ずっと水位が低くかったが、前日までの雨で水位が石段

の4−5段分上がっていると言う。水は濁流で速く、正に「五月雨

を集めて早し最上川」である。定員65人と掲示されているが、前

日まで雨の梅雨の平日なので、乗客は私を含めて6人である。これ

に船頭とガイドが付く。下流の「草薙温泉」まで約12キロ1時間

の「最上川芭蕉ライン舟下り」の始まりである。水深が十分あるの

で船外機付である。



 我々が馴染んでいる川は、川幅の中を水路が蛇行しており、そこ

ら中に河原があるが、最上川はこれとは違い、川幅一杯滔々と水が

流れており、これが速い。殆ど河原と言う物が無い。水深が深く、

深い所で8〜9メートルあるそうで、水流の表層よりも深層の方が

流れが随分速いので恐ろしいという。球磨川・富士川と共に日本3

大急流なのだそうだ。右岸は原始林で、今は人が住んでいないので、

この区間には橋が一本も懸かっていない。

 右岸に見覚えのある河原の景色がある。もしや「おしん」ではと

思ったら、ヤッパリそうで、ロケ地であった。「かーちゃん!」と叫

ぶ「おしん」の声が聞えて来るようである。

 「おしん」で知られたためであろうが、中国や韓国など外国人が

沢山来るそうで、「最上川舟歌」も各国語で用意されており、ガイド

が日本語で唄った後、片仮名で覚えたと言う「山形訛りの英語バー

ジョン」で歌ってくれた。

 降船所にはライン河畔の城を思わせる大きな建物があり、これが

「最上川リバーポート」と称する土産物販売店・レストランである。

皆降りてしまったので、帰路は私一人が船頭とガイドを従えた借り

切り状態となってしまった。先程まで大訛りの山形弁で説明してい

たガイドと個人的に話してみると、ほぼ標準語を使っており、あれ

は営業用なのだと理解した。

 岡山に帰って来てから、「芭蕉自筆奥の細道」という貴重本が19

97年に岩波書店から出版されているのを知り、これをインターネ

ットで探して見付け出し、運良く入手出来た。毛筆の草書で書かれて

いるが、張り紙をした跡が沢山あり、推敲の跡が窺がえる。




    月日は百代の過客にして行かふ

    年も又旅人なり舟の上に生涯

    をうかへ馬の口とらへて老をむ

    かふるものは日々旅にして

    旅を栖とす古人も多く旅に

    死せるあり………


で始まる紀行文であるが、「最上川下り」の部分は僅かに9行である。


    最上川はみちのくより出て山形を

    水上とすごてんはやぶさなと云お

    そろしき難所有板敷山の北を

    流れて果ては酒田の海に入左右山

    おほひ茂みの中に舟を下ス

    これをいなふねと云白糸の滝は青葉

    の隙々に落て仙人堂岸に臨みて立

    水みなきって舟あやうし

     さみたれをあつめて早し最上川


 句読点が無かったり、送り仮名が無かったり、濁点が殆ど無いの

で非常に読みにくい。なお、「ごてん」は「碁点」で、「はやぶさ」

は「隼」で、最上川の難所。「いなふね」は稲を運んだ川舟。



 芭蕉が最上川下りをしたのは、元禄2年(1689年)旧歴6月

3日で新暦の7月19日だそうで、現在は「海の日」である。今年

は日本中カンカン照りの夏になったが、川はまだ豪雨の跡の濁流で

あった。

   濁流を集めて暑し海日川    川遊亭 佳奴





                 (平成22年7月24日) 


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