「川下りは楽し・余談」   by  別宮 博一

42  <「孫と遊んだ盆の日々」>

〜 吹屋ふるさと村、備中高梁松山踊り、高梁川下り〜
  
 一昨年の夏から盆には孫達と遊んで過ごすのが定番となっている。

今年は、孫の方から早々と「おじいちゃん、今年もカヌーに連れて

行ってくれるかな?」と要請があり、「こりゃー、ナンがナンでも、

やらにゃーおえん!」と元気が湧いて来ると云うものだ。

 一昨年は備中松山城の臥牛山に登った後、炎天下の総社の「水辺

の楽校」で遊んだ。その後昼寝して、夜は松山踊りの物凄い人出の

夜店の街へ。昨年は「井倉洞」直近の川で東側の断崖絶壁に太陽が

遮られて涼しいうちに川でカヌー遊びをし、日が差す頃には止めて、

井倉洞に入った。昼寝後、夜は松山踊りの夜店の雑踏へ。私自身の

宵は、町内会の松山踊りの「連」の一員として、浴衣に編み笠を被

り、白足袋に草履を履いて、1時間踊り続けており、例年この時ば

かりは孫とは別行動である。

 今年は、さて何をするかと思案の挙句、先ず教育的観点から、銅

山とベンガラの「吹屋(ふきや)ふるさと村」を散策し、午後から

高梁川でカヌーで遊び、夜は松山踊りの雑踏という計画にした。

  
  
  
 ヘルメットを被って坑道跡に入ったり、古い屋敷に入って見た

ベンガラ関連施設に寄ったりしたが、圧巻は鄙びた山中に忽然と現

れるお城の様な広兼邸である。映画「八つ墓村」のロケがおこなわ

れた事で有名であるが、山の斜面を駆け登る様な、何んともはや豪

快な凄い石垣だ。一方、屋敷の庭の水琴窟の澄んだ響きには心が洗

われる思いがする。

  
  
  

 ベンガラ色の吹屋の街並みも楽しいが、今も生徒5人が通ってい

るという現存最古の木造小学校校舎も、消えゆく昔の日本の生き残

りであり、懐かしい物に出会った思いがする。

  
 「吹屋ふるさと村」で時間が掛ってしまい、高梁に戻ったら午後

4時になっており、私の松山踊りの集合時間6時半を考えると、カ

ヌー遊びは断念せざるを得ないが、孫達が楽しみにしていた事なの

で、翌日に予定していた秋岡氏・杉本氏らと共に高梁川を下る計画

に連れて行くことにした。これは、私が1人で川へ連れて行って遊

ぶのに比べると、孫達にとっては大いなる冒険で、私にとっても馴

染みのコースとはいえ、孫連れでの大いなるチャレンジである。

 夜は備中松山踊りで、孫達は他人に触れずには歩けない程の雑踏

の夜店を楽しんでいる。

 翌日、孫を連れて180号線を走り、総社市に入ると生憎の小雨

となり、カヌー行は中止しようかとも思ったが、次第にパラパラに

なり、水内(みのち)辺りでは雨は止み、乾いた道路になってきた。

運良く川下りの間だけ雨は止んでいたが、川から上がった途端に、

またパラパラと降り出した。

  
 秋岡氏には事情を伝え、「孫を乗せて遊ぶのにピッタリ」とのアセ

ンテ・大山氏お薦めで最近購入したという「パーセプション/プロデ

ィシ―10」1.5人乗りの橙色カヤックを持参して貰っており、

これに3年生の孫を乗せてもらった。確かにこの艇は小学低学年ま

での子供を前に乗せるには良いサイズであるが、パドルは1人しか

振り回せない感じである。

  
 私は例の大きな黄色の艇の前側に5年生を乗せた。高梁川と成羽

川の合流点の高梁市・落合から総社市美袋・水内河原まで、適当に

瀬や波があり、前の席では時には正面から水しぶきを顔に受けたり

しながらの孫達の歓声も心地良く、至福の川下りを楽しんだ。孫達

には夏休みの良い思い出になるだろうと思っている。

 それにしても、毎年夏休みになると「じじ」の株が上がるのも、

「カヌー」のお陰と云うものである。  

                 (平成21年8月27日) 




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