「川下りは楽し・余談」   by  別宮 博一

O<建部B&G旭川下りetc.>

  
  (写真@Aアイガーと濁流)

  常日頃の行状の埋め合わせに、妻の誕生日を含む五月後

半に妻と共に短期間のスイス・ドイツ旅行をした。「日本晴れ」と

でも言いたいような快晴であったが、アイガーの傍の澄んだ水が

似合うはずの小さな川で、意外にも荒れた濁流を目撃して愕然

とした。

 
  (写真Bラフティング)

 この日が土曜日だったからであろうか、この川でラフティング

を楽しんでいる若者を見付けた。「よくやるーッ!」と思う。走行

中のバスの中から撮ったので、タイミングを逸して小さくなって

しまった。私のイメージでは、ラフティングは澄んだ水でないとい

けない。濁流では水の凶暴さが露骨に感じられ、楽しさが打ち

消される様に感じられる。普段は澄んだ水が流れている川なの

だろう事を期待したい。

 
  (写真Cカヤックを積んだ車)

 ロマンチック街道を走りながら、美しいドイツの田舎の風景を

楽しんでいたら、2台前を走っている車がカヤック2艇をルーフ・

キャリアに積んでいるのを見付けた。同じ方向に走っていたので、

この風景の中を走るカヤックを積んだ車は面白いと思い、撮影

のチャンスを窺っていたが、すぐ後ろに着けた時には、今様の街

の中に入ってしまい、下らない写真になってしまった。


 さて、5月27日には、高梁川・奥の院下りが計画されていた

のは承知していたが、私は建部B&Gの旭川下りに参加した。こ

れは毎年5月末に行われている年中行事で、私は過去何回も参

加している。1991年と1992年に参加した当時は建部町ス

ポーツセンター・B&G艇庫から後楽園までの約42キロを下って

いたが(拙著「川下りは楽し」p.24-32、52-57参照)、その後

建部町内で完結する方針に転換され、小倉橋をゴールとする様

になり、遂には建部町文化センターをゴールの短区間になってし

まった。岡山国体後、昨年は小倉橋までに延長(「川下りは楽し・

余談」B参照)、岡山市に合併後の今年は再度岡山・後楽園ま

でに延長され、15年ぶりに昔の姿に戻ったのである。

  
  (写真DE建部B&Gセレモニー)

 このフル・マラソン相当の距離を6区間(建部B&G艇庫から

建部文化センターまで、小倉橋まで、葛城橋まで、中牧沈下橋

まで、中原橋まで、三光荘ゴールまで)に分け、10艇前後で下

り、陸上を指揮者と支援隊と伴走車が走り、中継地点で建部町

住民の漕ぎ手が適宜新しい人やリフレッシュした人に入れ替って

行く仕掛けである。こんな中で、私は一人で全区間漕ぎ続ける

と云う耐久レースに毎回挑むのである。

 
 (写真F 5/28山陽新聞掲載写真のカラー版・山陽新聞社提供・左上筆者)

 開会セレモニー後8時半過ぎスタート。今年の最初の区間に

は、この地域の高等学校長や教頭など3名が数回の練習後参

加しており、彼らの沈が早々にあったりして、建て直しにかなり

時間を取られてしまった。しかし、この年齢層のこの立場の方々

が揃って参加するなどと云うことは、恐らく空前絶後の事で、そ

の心意気が実に爽やかで清々しい。また、御津高等学校体育教

師で同校カヌークラブの顧問の爽やかで逞しい若い女の先生の

姿が声が目耳に心地良い。

 何度もあった沈脱後の態勢建て直しに随分時間と労力を要

しているが、これには大きな要因がある。どの艇にも浮力体が

入れてないため、艇内に最大限の水が入って重くなり、コントロ

ールを困難にしているのである。今後は是非とも浮力体を艇に

装着するよう提案したい。

 
  (写真G小倉橋の瀬・彼が沈する)

 さて、小倉橋の少し川上に、川の中を東川上側から西川下側

へ斜走する洗堰がある。ここの東岸寄りの端に堰の切れ目があ

り、かなり大きな波の立っている瀬になっており、上からは木の枝

が垂れ下がっている。「やばさ」の伴う瀬だ。突入前に指揮者の

依田伸一郎氏(岡山国体ワイルドウォーター優勝)が大声で色々

指示を与えている。ここではパドルを木の枝に絡ませてしまい、

引っ張られて1艇沈した以外は無事通過した。小倉橋の中継点

に行って見ると、指揮者の依田氏がティシューペーパーを片方の

鼻の穴に突っ込んで立っている。ティシューペーパーには血が滲

んでいる。

 「鼻血ですか?」と艇上から問うと、

 「あそこの瀬を皆が如何なって通るか考えとったら、頭に血が

昇って、鼻血が出てしもうて!」と答える。

 指揮者の重責、御苦労様。その様な思いをしてくれる人があ

るからこそ、旨く行くと云うものだ。

 漕げば腹が減るが、漕ぎ手が適宜交代するので時間節約の

ため、昼食時間は予定されていなかった。艇上で水分は適宜摂

れるが、食事はやり難い。漕ぎ手の交代は実際には一部の艇で

極短時間で終わってしまい、食事のタイミングが掴めず、マイッ

タ参った。交代の隙間を狙って妻が作ってくれたニギリメシを一

口二口急ぎ頬張るのが精一杯だ。それに最初の区間以外は元

気な若者やリフレッシュした人と適宜交代しているので、皆すこ

ぶる速い。手を抜いている訳ではなくても最後尾になってしまう。

遅れ勝ちなのを遅れてしまったらリタイアを余儀なくされるので、

それはしたくない。ゆっくり食べた後、追い付くなどは不可能だ。

 依田氏に何度かヤンワリとリタイアーを勧められたが、断固

拒否。とは言え、今や高齢者と言われる65歳の私の脳裏では

「脳卒中」「心発作」「熱中症」などの三文字が多少チラチラして

おり、続行かリタイアかの決断に逡巡してはいた。最終中継点

中原橋まで来てしまうと俄然元気が出て来た。皆で新幹線の瀬

を突破して、岡山・後楽園の川下の三光荘前にゴールしたのは

17時半である。炎天下の約9時間42キロの耐久レースを完漕

したのだ。無事であった事を何よりの喜びとしよう。

 こんな写真をHPの中で発見。

 
  (写真H京橋朝市6/3・カナディアンの後のカヤックは筆者)

                       (2007/06/20)




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